須貝富蔵とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 須貝富蔵の意味・解説 

須貝富蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/30 13:31 UTC 版)

すがい とみぞう

須貝 富蔵
生誕 1880年4月30日
新潟県
死没 1948年4月8日(67歳没)
国籍 日本
職業 興行主
著名な実績 須貝興行(現・スガイ・エンタテインメント)創始者
子供 息子:須貝富安
テンプレートを表示

須貝 富蔵(すがい とみぞう、1880年明治13年〉4月30日 - 1948年昭和23年〉4月8日)は、新潟県出身の興行主

須貝興行の創始者であり[1]北海道興行界の大立者とされる[2]スガイ・エンタテインメント社長・会長の須貝富安は次男[3]

経歴

1880年(明治13年)4月30日、新潟県に生まれた[2]。1899年(明治32年)に北海道に渡り[4]樺太で漁業に携わった[5]

1916年(大正5年)には北海道札幌市に実演劇場として札幌館を開館させ、1918年(大正7年)には札幌館を札幌座に改称した[2]。札幌座は畳敷きの芝居小屋であり、地方巡業の歌舞伎や新派劇などの公演が行われた[2]。1926年(大正15年)には札幌座を増改築して札幌劇場に改称した[2]

1926年(大正15年)には小樽市に小樽中央座を開館させ、さらに函館市に巴座を開館させた[2]。その後、室蘭市に室蘭大黒座や輪西大黒座を開館させた[2]。1930年(昭和5年)から戦後の1947年(昭和22年)まで、須貝が勧進元となって大日本相撲協会(現・日本相撲協会)札幌場所を主催した[2]

太平洋戦争中には北海道興行環境衛生同業組合が設立され、須貝は推されて初代理事長に就任した[2]。戦後の1946年(昭和21年)、札幌劇場を映画常設館とした[2]。1948年(昭和23年)4月8日に死去した[2]。次男の富安が須貝興行の経営を継いでいる[6]

脚注

  1. ^ 草創期 SDエンターテイメント
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『札幌人名事典』〈さっぽろ文庫〉北海道新聞社、1993年、p.168
  3. ^ 『北海道人物・人材情報リスト 2023 第1巻』日外アソシエーツ、2022年
  4. ^ 奥山亮『新考北海道史』北方書院、1950年、p.161
  5. ^ 『私のなかの歴史 4』北海道新聞社、1985年、pp.209-231
  6. ^ 第一次発展期 SDエンターテイメント

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  須貝富蔵のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「須貝富蔵」の関連用語

須貝富蔵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



須貝富蔵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの須貝富蔵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS