順義の順州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 08:40 UTC 版)
本節では、唐代から元代にかけて、現在の北京市順義区一帯に設置された順州について述べる。唐により設置された帰順州を前身とする。唐末に帰順州は順州と改称された。五代の後晋が建国されると、順州は燕雲十六州のひとつとして、遼に割譲された。遼の順州は南京析津府に属し、懐柔県1県を管轄した。1122年(宣和4年)、金が遼から燕雲十六州を奪うと、盟約に従って北宋に順州を割譲した。宋の順州は燕山府路に属し、懐柔県1県を管轄した。靖康の変のさいに、金が北宋から順州を奪った。金の順州は中都路に属し、温陽・密雲の2県を管轄した。元のとき、順州の属県は廃され、順州は大都路に属した。1368年(洪武元年)、明により順州は廃止されて、順義県に降格された。
※この「順義の順州」の解説は、「順州」の解説の一部です。
「順義の順州」を含む「順州」の記事については、「順州」の概要を参照ください。
- 順義の順州のページへのリンク