非武装地帯の匪賊討伐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 14:15 UTC 版)
「梅津・何応欽協定」の記事における「非武装地帯の匪賊討伐」の解説
孫永勤に率いられた約一千名の匪賊団は熱河省自衛団と称し北平義勇軍弁事処の指揮下にあったが、三度にわたり満州国熱河省をかく乱しては満州国境を越えて塘沽停戦協定で決められた非武装地帯内に逃げ込んでいた。中国側官憲が庇護している様子もあり、関東軍は非武装地帯内に出動し、これを掃討した。この掃討のために非武装地帯内に出動した関東軍部隊は孫永勤の親族および中国側保安隊、民団等からの情報により保安隊、民団等は于学忠より匪賊を援助せよとの密命を受けていたため匪賊を討伐するどころか庇護する態度を示していたことを知り、関東軍は于学忠の責任を追及することになった。
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