青山宗俊の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 16:59 UTC 版)
慶安元年(1648年)、大番頭より抜擢された青山宗俊が3万石の大名として小諸に入り、また信濃国内の1万5000石の天領を預かった。宗俊は老中青山忠俊の息子で、八重原用水・御影用水などが造られている。また新田開発植林事業などが慶安年間に行なわれた。寛文2年(1662年)3月、宗俊は2万石を加増されて大坂城代に転出し、5月に丹波篠山藩に移封された。この時代に行なわれた用水路工事はかなりの難工事だったと伝わる。
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