障害騎手として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:21 UTC 版)
1971年に騎手免許を取得し、同年3月に戸山厩舎所属としてデビュー、同6月に初勝利を挙げた。デビューからしばらくは平地競走を中心に騎乗していたが、障害の名手であった鶴留が1978年に引退したことに伴い、障害での騎乗を増やしていった。同年10月、戸山厩舎所属のフラストメアで京都大障害(秋)を制し、重賞初勝利を挙げた。1982年には当時春と秋の2回施行されていた中山大障害をキングスポイント(テンポイントの全弟)で両方制するなど、障害競走で活躍を見せた。同馬を管理した小川佐助と小島には付き合いはなかったが、小川が管理したテンポイントの主戦騎手だった鹿戸明が小島との親交深く、鹿戸から「小島ならば気性難のキングスポイントを乗りこなせる」と小川に推薦したものだった。この頃、小島は障害で4割近い勝率を残しており、後に「あの頃は障害では他人に負けないという気持ちがありました」と語っている。しかし1986年末に障害練習中に落馬し、鎖骨骨折などの重傷を負った。これに際し、見舞いに訪れた戸山から「もう障害はいい。退院したら平場でやるんだ」と指示され、以後平地専業となった。
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