院長時代と大療養所の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 21:38 UTC 版)
「周防正季」の記事における「院長時代と大療養所の建設」の解説
院長就任については、総督府首脳の推挙もあったが、自らも希望され、らい予防協会の寄付を最も多く集めたという。直ちに病院を拡大、院長就任7カ月で千五百名に達した。1934年(昭和9年)10月小鹿島更生園と改称。1939年(昭和14年)にかけ、大療養所を建設。設計図は自ら書き、建築資材も安いところを自ら買い付け、さらに建築現場に出て先頭にたって労働した。医師、看護婦、事務員も、患者も労働に参加した。すくないながら、患者にも賃金は支払われた。1939年(昭和14年)10月総収容人数6千名の大療養所が完成した。
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