阿弥陀寺 (那珂市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 阿弥陀寺 (那珂市)の意味・解説 

阿弥陀寺 (那珂市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/30 02:17 UTC 版)

阿弥陀寺
所在地 茨城県那珂市額田南郷375
位置 北緯36度29分14.1秒 東経140度31分11.6秒 / 北緯36.487250度 東経140.519889度 / 36.487250; 140.519889座標: 北緯36度29分14.1秒 東経140度31分11.6秒 / 北緯36.487250度 東経140.519889度 / 36.487250; 140.519889
山号 証拠山
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 建保4年(1216年
開山 親鸞
開基 定信
文化財 木造阿弥陀如来立像(茨城県指定有形文化財)、紙本墨書太祖聖人面授口決交名記(那珂市指定文化財)
テンプレートを表示

阿弥陀寺(あみだじ)は、茨城県那珂市にある真宗大谷派寺院

歴史

1216年建保4年)、親鸞によって開山された。当初は「大山草庵」と呼ばれており、那珂西大山(現・茨城県東茨城郡城里町阿波山)に位置していた。親鸞が当地に草庵を設けたのは、故郷の京都東山の風物と似ていたからといわれている。後に親鸞が京都へ帰還する際、大山草庵を弟子の定信に託した。この故事により、当寺の開基は定信としている[1][2]

親鸞の墓所である大谷廟堂亀山天皇より「久遠実成阿弥陀本願寺」の寺号が与えられた。ただ大谷廟堂の寺院化への歩みは決して平坦ではなかった。第3代覚如は、大山草庵に立ち寄り、その荘厳(飾り)が立派なのに感銘を受け、亀山天皇から下賜された寺号のうち、「阿弥陀」を大山草庵に譲り、以降「阿弥陀寺」を称することになった。大谷廟堂は後に寺院化に成功し、正式に「本願寺」を称することになった[1][2]

1392年明徳3年)、額田城の城主小野崎昭進により、現在地に移転し、額田城の守護寺とした[1][2]

文化財

  • 木造阿弥陀如来立像(茨城県指定有形文化財 昭和46年10月28日指定)[3]
  • 紙本墨書太祖聖人面授口決交名記(那珂市指定文化財 平成14年10月17日指定)[4]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、262p
  2. ^ a b c 阿弥陀寺真宗教団連合「親鸞聖人を訪ねて」
  3. ^ 木造阿弥陀如来立像茨城県
  4. ^ 50.市指定文化財【紙本墨書太祖聖人面授口決交名記】那珂市

参考文献

  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  阿弥陀寺 (那珂市)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「阿弥陀寺 (那珂市)」の関連用語

阿弥陀寺 (那珂市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



阿弥陀寺 (那珂市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの阿弥陀寺 (那珂市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS