閔升鎬爆殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 01:59 UTC 版)
1874年春に景福宮に火災が発生して高宗が昌徳宮に避難する事態となり、同時に閔妃一族の最高権力者閔升鎬の邸宅にも火災が発生した。閔妃は大院君が放火させたと主張したが具体的な証拠がなく追求できなかった。1874年11月に閔升鎬が一家もろとも仕掛け爆弾で殺害された。高宗と閔妃は嘆き悲しみ、閔妃は大院君が背後にいると何度も訴え、大院君の元兵使・申哲均が拷問され自白するも、本人への累は及ばなかった。恨みが収まらない閔妃は、翌年11月大院君の兄興寅君の家を襲撃させる事件を起こした。
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