鏡山沖野右エ門とは? わかりやすく解説

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鏡山沖野右エ門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/02 04:05 UTC 版)

鏡山 沖野右エ門(かがみやま おきのえもん)は、江戸時代の大相撲の第4代大関。番付上は「奥州」頭書だが、これは名のみの存在で、実際の出身地は不明である。

1758年(宝暦8年)春場所(3月)、1場所のみ西の看板大関を務めた。享保時代に紀州和歌山藩お抱えの「鏡山沖之右衛門」(出身地は陸奥国の中で、現在の宮城県登米市(旧宇井・登米郡中田町)に相当する場所)という強豪力士がおり、その名前をそのまま名乗った[1]

主な成績

  • 通算成績:不明(勝敗記録現存せず)


鏡山 沖野右エ門
春場所 冬場所
1758年 西大関
引退
––
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

脚注

  1. ^ 「相撲」編集部編 編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。

関連項目

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