銅像と合祀について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 06:18 UTC 版)
山形藩、すなわち現在の山形市が戦火を免れたのは元宣の功績とされ、豊烈神社に合祀された。明治34年(1901年)は水野元宣の33回忌にあたり、同年3月に旧水野藩士や市民によって趣意書が作成され銅像建立の募金活動が始まり、翌年明治35年9月に豊烈神社境内に陣笠を被り戦陣における指揮者の立ち姿という現在とは異なるデザインで銅像が建立された。令和4年(2022年)に建立された現在の銅像は、戦後建てられた銅像が老朽化したため、クラウドファンディングで資金を集め、再建されたもの。
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