鈴法寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/05 06:17 UTC 版)
武蔵国幸手の藤袴村(現在の埼玉県幸手市)に普化宗の総本寺として創建。1532年に葦草村(現在の埼玉県川越市)に移転。その後、新町村を開拓した吉野織部之助との関係から、1613年に現在地に移転した。 徳川幕府により、普化宗は庇護され、鈴法寺は普化宗寺院の根本道場の一つとなった。しかし、明治維新後の1871年、官命により普化宗は廃宗、鈴法寺も廃寺となった。1895年には本堂が火事に遭い消失。現在の鈴法寺跡は住宅街と公園であり、公園の隅に歴代の住持の墓が残るのみとなっている。
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