野本吉兵衛
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7代[1] 野本 吉兵衛(のもと きちべえ、1898年〈明治31年〉6月13日[2][3] - 1984年〈昭和59年〉3月19日[4])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、八幡浜市長。幼名・定敏[1]。
経歴
愛媛県[4]西宇和郡八幡浜町須賀之町(現八幡浜市)で、商家・6代野本吉兵衛定一の長男として生まれ、のち7代吉兵衛を襲名した[1]。
1922年高千穂高等商業学校(現・高千穂大学)卒[4]。東京土地住宅(株)勤務のあと[3]、帰郷し家業に従事し[3]、八幡浜町議、同市助役、同市長、愛媛県方面委員、市翼賛壮年団長、予州銀行監査役、理研木材工業(株)社長となる[4]。
1942年の第21回衆議院議員総選挙では愛媛3区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する[5]。戦後は日本進歩党に入ったが[6]、推薦議員のため公職追放となった[7]。1951年追放解除[8]。追放解除後の1955年、八幡浜市長に返り咲いた[9]。市長は2期務めた[9]。1984年死去。
脚注
参考文献
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1985年。
- 『愛媛県史 人物』愛媛県史編纂委員会、1989年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
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