野口喜一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 野口喜一の意味・解説 

野口喜一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/31 17:10 UTC 版)

野口喜一

野口 喜一(のぐち きいち、1895年明治28年)4月16日[1] - 1957年昭和32年)4月2日[1][2])は、昭和時代の政治家実業家地主[3]衆議院議員

経歴

神奈川県橘樹郡川崎町南河原(川崎市幸区南河原を経て現幸区駅前本町)の素封家の家に生まれる[1]1922年(大正11年)3月、明治大学法科を卒業[1]1924年(大正13年)市制施行直後の川崎市の学務委員に推され、1926年(大正15年)市青年団御幸分会長、1928年(昭和3年)県社会委員となった[1]

同年9月、川崎市会議員に当選[1]。参事会員となった[1]。さらに1932年(昭和7年)6月より神奈川県会議員に2期当選し、参事会員にも選ばれた[1]

1937年(昭和12年)4月の第20回衆議院議員総選挙では神奈川県第1区から出馬し当選[2]。つづく第21回総選挙でも当選し、衆議院議員を2期務めた[2]幣原内閣では陸軍参与官陸軍省廃止後は第一復員参与官を歴任し、派遣軍慰問のため北満州へ派遣された[2]

衆議院議員引退後は、川崎鶴見臨港バス常任監査役、自民党川崎支部顧問などを歴任した[1]。ほか、東京綿油再生、特殊鋳工、東神商事各取締役社長、川崎乗合自動車監査役、直喜鉄工所、大東鉄工所、川崎食品市場各取締役を務めた[2]

墓所は川崎市幸区宝蔵院延命寺[1]

脚注

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  野口喜一のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「野口喜一」の関連用語

野口喜一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



野口喜一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの野口喜一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS