辛容勲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/27 18:26 UTC 版)

辛 容勲(シン・ヨンフン、朝鮮語: 신용훈/辛容勳、1904年 - 没年不詳)は、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員[1]。本貫は霊山辛氏[2][3]。
経歴
慶尚南道昌寧郡出身。京城法学専門学校(現・ソウル大学校)卒[4]。慶尚南道属法制経済教師、会社重役[5]などを務めた後、1950年の第2代総選挙に昌寧選挙区で無所属の候補として当選した。朝鮮戦争の際に北朝鮮に拉致され、以後黄海道の農場で労働者をさせられ、1956年7月から在北平和統一促進協議会中央委員を務めた。1958年12月に雄基地方の協同農場に移住後消息不明[6]。
脚注
- ^ “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年8月20日閲覧。
- ^ “영산·영월 신씨” (朝鮮語). 중앙일보 (1983年10月29日). 2025年8月20日閲覧。
- ^ “(94)영산 신씨(靈山辛氏)-83,798명”. 서울이코노미뉴스 (2014年9月15日). 2025年8月20日閲覧。
- ^ “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年8月20日閲覧。
- ^ “辛容勳(신용훈)47無(무),新(신)”. 경향신문 (1950年6月20日). 2025年8月20日閲覧。
- ^ “북한 총람 중 납북인사 명단(3)-나마바사 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org. 2025年8月20日閲覧。
- 辛容勲のページへのリンク