赤頭_(伯耆国の人物)とは? わかりやすく解説

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赤頭 (伯耆国の人物)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/16 13:16 UTC 版)

赤頭(あかあたま)は、鳥取県に伝わる伝説の人物である。

概要

鳥取県西伯郡名和村に伝わる伝説に登場しており、非常に力自慢の男。その怪力米俵(こめだわら)を12俵まとめて運ぶほどだった。

昔、赤頭が観音堂でひと休みしていたところ、4、5歳程度の男の子が現れ、観音堂の柱に五寸釘(ごすんくぎ)を素手で刺しはじめた。その力もさるものながら、今後は素手で釘を抜き取ったかと思うと、やがて釘を刺す、抜くを繰り返して遊び始めた。しかも、よく見ると素手どころか、使っているのは指1本のみだった。赤頭は「子供に負けるか」とばかりに自分も釘を刺すが、怪力自慢の彼でも、両手で釘を刺すのがやっとで、抜き去るのは到底無理だった。男の子はその情けない様子を笑いつつ、どこかへと去っていった。

赤頭の死後、村の若者たちの何人かは、彼にあやかって怪力を授かろうと彼の墓に集まるようになった。ところが夜になると、墓のもとにいる者たちの背中に大変な重みが伝わり、とても我慢ができなくなった。その様子はまるで、目に見えない重石のようなものが背中に乗せられ、何者かがそれを背中に押しつけてきたようだったという[1]

『名和村郷土誌』およびそこから再録をした荻原直正『因伯伝説集』(1951年 鳥取県図書館協会・発行)の「赤頭」の項目には同様に怪力を持った人物の伝説として、鳥取県高草郡にいた三田七蔵、通称三田七が竹やぶをかるがると根こそぎ抜いて、畑地にしたという話も併記されている[1]

小僧がいとも簡単にたくさんの米俵を運んで、ケラケラ笑いながら行ってしまったという話もある。

解釈

昭和後期の妖怪に関する図鑑や書籍には、赤頭が出会ったさらなる怪力の男の子のほうが「赤頭」という名の妖怪であると紹介しているもの[2]も存在したため、「赤頭」が妖怪として表現されることがあった(なお、人を驚かすだけで傷つけたりはしない[3]等と解説されており、実際の伝説に登場した怪力の男の子の性質そのままの場合が多く、単なる誤解による名称化である)。2000年代以後は、実際の伝説における記述が紹介されるようになっており[4]、混乱は解消している。

脚注

  1. ^ a b 荻原直正『因伯伝説集』牧野出版社、1974年、256-257頁。 NCID BA47101231 
  2. ^ 水木しげる水木しげるの続・妖怪事典東京堂出版、1984年、26頁。 ISBN 978-4-490-10179-9 
  3. ^ 水木しげる『妖怪大図鑑』 II、講談社〈講談社まんが百科〉、1996年、23頁。 ISBN 978-4-06-259041-9 
  4. ^ 水木しげる決定版日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様講談社講談社文庫) 2014年 ISBN 978-4-06-277602-8 29頁 以前までの「赤頭」から「赤頭と小僧の妖怪」と題が変更されており、主人公の人間の名も「赤頭」であると明記された。



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