赤土亮
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赤土 亮(あかど りょう、1854年8月14日(安政元年7月21日[1]) - 1906年(明治39年)6月11日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
加賀国石川郡宮腰町(金石本町、石川県[2]石川郡上金石町、金石町を経て現金沢市)出身[3]。金沢師範学校で学ぶ[2]。小学校訓導、石川郡金石町戸長[1]、同町助役、同町長、同町会議員、石川郡会議員、石川県会議員、加能合同汽船(株)支配人となる[2]。
1898年3月(明治31年)第5回衆議院議員総選挙において石川1区から自由党公認で立候補して初当選する[4]。8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して再選する[5]。1902年(明治35年)第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1906年に死去した。
脚注
参考文献
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 石川県議会史編さん委員会編『石川県議会史 第1巻』石川県議会事務局、1969年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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