葛嬰
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 08:07 UTC 版)
葛 嬰(かつ えい、? - 紀元前208年)は、秦代末期の陳勝・呉広の乱を起こした陳勝の部下。勝手に楚王を立てたために、陳勝に誅殺された[1][2]。
- ^ 以下、特に注釈がない部分は、『史記』秦楚之際月表第四・秦陳渉世家による。
- ^ 年号は『史記』秦楚之際月表第四による。西暦でも表しているが、この時の暦は10月を年の初めにしているため、注意を要する。まだ、秦代では正月を端月とする。
- ^ 佐竹靖彦は「葛嬰は蘄県に北接する符離の人であった。(中略)蜂起の最初の段階で、天下の交通網の結節点に基盤をもつ葛嬰のような人物に、東方経路の役割を与えたことは、情報の伝達のために大きな意味を持ったと考えられる」としている。佐竹靖彦、『劉邦』、215頁。
- ^ 『史記』秦楚之際月表第四による。九江郡を攻略していた鄧宗の軍との関係は不明。
- ^ この『風俗通』の記述が正しければ、前漢の諸葛豊・孫呉の諸葛瑾・蜀漢の諸葛亮・曹魏の諸葛誕は、葛嬰の子孫にあたる。
- ^ 佐竹靖彦、『劉邦』、216頁。
- ^ “제씨(諸氏) 본관(本貫) 칠원(漆原)입니다.”. www.findroot.co.kr. 2022年7月6日閲覧。
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