詔勅の文体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:19 UTC 版)
明治維新の初め、詔勅の文体は和文も漢文もどちらも用いた。おそらく適時適宜にやっていた。しだいに和文が多くなり1879年(明治12年)に内閣書記官を置いた後は漢文を用いなくなり、詔勅の文体が定まった。大宝令以来、詔勅に漢文を用いる例であり、安政元年の鐘を以って砲を鋳るの勅書や文久二年五月に幕府に下した勅書などは漢文を用いていた。文中に有衆・庶衆・群臣の語がある詔勅は、どれも天下に公布することを常例とした。
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