許桂恒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/08 13:27 UTC 版)
| 許桂恒 | |
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       『省政彙覧』第七輯 安東省篇(1936年)
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| プロフィール | |
| 出生: | 1885年(光緒11年)[1][2] | 
| 死去: | 没年不詳 | 
| 出身地: |  清盛京将軍管轄区遼陽県[1][3] | 
| 職業: | 官僚 | 
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 許桂恒 | 
| 簡体字: | 许桂恒 | 
| 拼音: | Xǔ Guìhéng | 
| ラテン字: | Hsü Kuei-heng | 
| 和名表記: | きょ けいこう | 
| 発音転記: | シュー・クイホン | 
許 桂恒(きょ けいこう、1885年 – 没年不詳)は、中華民国・満洲国の官僚。
事績
遼陽警務学校を卒業。中華民国時代は、昌図県と鉄嶺県で県長をつとめた。満洲国建国後は、黒龍江省公署参事官、瀋陽県長を歴任する。1934年(康徳元年)、安東省民政庁長となり[1]、1937年 (康徳4年)6月30日、黒河省長に任命された[4]。翌1938年(康徳5年)8月に辞任し、10月に赤十字社理事となる[1]。1940年(康徳7年)、満洲生活必需品株式会社副理事長となり、1943年(康徳10年)時点でも在任している[3]。
1944年以降における許桂恒の動向は不詳となっている。
注
参考文献
- 許桂恒のページへのリンク

 
                             
                    





