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西ヶ谷可吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 05:43 UTC 版)

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西ヶ谷 可吉(にしがや かきち、1858年安政5年11月[1][2]) - 1926年大正15年)10月26日[1][2])は、日本政治家衆議院議員(1期)。

経歴

駿河国庵原郡庵原村(のち静岡県庵原郡庵原村清水市→現・静岡市清水区)生まれ[1]漢学を学ぶ。農業と林業に従事する[2]。庵原村会議員、同村長、静岡県会議員、同農会長、同柑橘同業組合長、庵原耕地整理組合長となる[2]。また、庵原報徳社を創立し、幹事となり、東駿河報徳社社長、江尻貯蓄銀行を創立し、専務取締役となり、静岡農工銀行創立委員、同取締役[1]、富士川銀行取締役となる[2]

1894年9月の第4回衆議院議員総選挙において静岡2区から立憲改進党公認で立候補したが落選した[3]1898年3月の第5回衆議院議員総選挙では立憲改進党から立候補したが落選した[4]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙は不出馬。1901年伊達文三の死去による静岡2区の補欠選挙に立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1902年第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1926年に死去した。

脚注

  1. ^ a b c d 衆議院編 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』 衆議院事務局、1940年、339頁。NDLJP:1278238 
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』478頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』21頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』27頁。

参考文献

  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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