行友亮二とは? わかりやすく解説

行友亮二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/21 03:58 UTC 版)

行友 亮二
名前
愛称 リョウジ
カタカナ ユクトモ リョウジ
ラテン文字 YUKUTOMO Ryoji
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1979-04-20) 1979年4月20日(45歳)
出身地 広島県東広島市
身長 173cm[1]
体重 67kg[1]
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
????-1991 安芸津少年SC
1992-1994 安芸津中学校
1995-1997 サンフレッチェ広島
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-1999 サンフレッチェ広島 0 (0)
2000-2004 大塚製薬 57 (1)
通算 57 (1)
監督歴
2005 徳島U-12コーチ
2006 徳島U-18コーチ
2006 徳島U-18監督
2007 徳島U-15コーチ兼U-13監督
2008-2009 徳島U-15吉野川 コーチ
2010 徳島U-15吉野川 監督
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

行友 亮二(ゆくとも りょうじ、1979年4月20日 - )は、広島県東広島市出身の元サッカー選手DFMF)、指導者(JFA公認B級コーチ)。実兄は元レオーネ山口コーチの行友健太郎、甥に行友翔哉がいる。

来歴

1995年、サンフレッチェ広島ユースに入団、同期生は石川裕司秋元雅博大畑隼哉ら。実兄の健太郎も広島ユース出身。両サイドをこなせるのウィングバックとして活躍した[2]U-18日本代表にも選ばれ、SBSカップ 国際ユースサッカーに出場している。

1998年にトップとトレーニー(練習生)契約した。同期入団は、大久保誠、石川、池端陽介植田元輝、大畑、秋元、山下一弥。翌年2000年夏ごろには事実上の戦力外とみなされた。同年9月、10月に大分トリニティの入団テストを受けるも不合格、その後大塚製薬へ移籍決定した。大塚製薬時代は主にDFとして活躍、徳島ヴォルティスとしてJ2参入決定した2004年末に現役引退。

現在は徳島ヴォルティスの下部組織コーチとして活躍している。

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 広島 33 J 0 0 0 0 0 0 0 0
1999 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 大塚 20 JFL 13 1 -
2001 13 19 0 -
2002 10 0 -
2003 20 10 0 -
2004 5 0 - 1 0 6 0
通算 日本 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
日本 JFL 57 1 -
総通算 57 1 0 0

脚注

  1. ^ a b 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 1999』p119
  2. ^ 『Jリーグオフィシャルガイド1998』p97

参考文献

関連項目

外部リンク





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