蘇我比咩神社とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 神社名 > 蘇我比咩神社の意味・解説 

蘇我比咩神社

読み方:ソガヒメジンジャ(sogahimejinja)

教団 神社本庁

所在 千葉県千葉市

祭神 蘇我比咩大神

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

蘇我比咩神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/10 07:56 UTC 版)

蘇我比咩神社

拝殿
所在地 千葉県千葉市中央区蘇我二丁目2-7[1]
位置 北緯35度34分21.0秒 東経140度7分46.9秒 / 北緯35.572500度 東経140.129694度 / 35.572500; 140.129694座標: 北緯35度34分21.0秒 東経140度7分46.9秒 / 北緯35.572500度 東経140.129694度 / 35.572500; 140.129694
主祭神 蘇我比咩大神
千代春稲荷大神
社格 式内社(小)
郷社
創建 不詳
本殿の様式 流造
例祭 10月9日
地図
蘇我比咩
神社
テンプレートを表示

蘇我比咩神社(そがひめじんじゃ)は、千葉県千葉市中央区蘇我二丁目にある神社である。式内社で、旧社格郷社

蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、天照皇大神春日神経津主神武甕槌神天児屋根神天児屋根比売神)・八幡神応神天皇・比咩大神・神功皇后)を配祀する。中世には春日神が信仰の中心となっており、春日大明神と称していた。

歴史

創建の年代は不詳である。紀記神話によれば、日本武尊の東征の際、相模から総国に渡ろうとしたとき暴風雨に遭い、それを鎮めるために日本武尊の后の弟橘姫が入水した。社伝によれば、そのとき弟橘姫に付き従ってきた5人の女性も一緒に水に入ったが、そのうちの一人、蘇我大臣の娘の蘇我比咩だけは浜に打ち上げられ、里人の看護により蘇生し、都に帰った。後に里人は、日本武尊が帰途に亡くなったことを聞き、その霊を慰めるために社を建てて祀った。応神天皇はその行為に感激し、蘇我一族をこの周辺の国造として派遣した。蘇我氏春日大社と比咩神社を信仰しており、両社を勧請して蘇我比咩神社を創建したという。

ただしこれには別の伝承もあり、浜に打ち上げられ蘇生したのは弟橘姫であり、弟橘姫が「我、蘇(よみがえ)り」と言ったので「蘇我」という地名となったともいう。

延喜式神名帳には「下総国千葉郡 蘇賀比咩神社」と記載され、小社に列している。

天正19年(1613年)、徳川家康が社領10石を寄進した。

境内

交通

脚注

  1. ^ アクセス 2020年6月27日閲覧

外部リンク

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蘇我比咩神社」の関連用語

蘇我比咩神社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蘇我比咩神社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蘇我比咩神社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS