ふじわら‐の‐あきらけいこ〔ふぢはら‐〕【藤原明子】
藤原明子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/05/22 08:26 UTC 版)
藤原 明子(ふじわら の あきらけいこ、ふじわら の めいし)
- 藤原明子 (染殿后) - 文徳天皇の女御で藤原良房の娘。「染殿の后」(そめどののきさい)と呼ばれた。
- 藤原仲平の娘。百人一首で有名な藤原敦忠の妻、のち藤原師氏の妻。
- 弁乳母 - 藤原順時の娘で、藤原兼経の妻、禎子内親王の乳母。
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藤原 明子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/26 14:23 UTC 版)
「藤原明子 (染殿后)」の記事における「藤原 明子」の解説
昌泰3年5月23日(900年6月22日))は、文徳天皇の女御で、清和天皇の母。父は太政大臣藤原良房、母は嵯峨天皇皇女の源潔姫。のち皇太夫人、ついで皇太后。染殿が里邸だったため、染殿后(そめどの の きさき)とよばれた。
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