菖蒲の前伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:01 UTC 版)
1180年(治承4年)5月26日、源頼政が宇治平等院釣殿で自刃する。頼政の側室である菖蒲の前は、3歳になる息子の種若丸を連れてこの地に逃れてくる。数日間休んでいたが、種若丸は病気になり、死んでしまう。このとき、菖蒲の前が「吾妻子や 千尋の滝のあればこそ 広き野原の 末をみるらん」と詠んだと言われ、この滝を吾妻子の滝と呼ぶようになった。滝の西側の「吾妻子観音堂」に、種若丸の墓と伝えられる宝篋印塔が納められている。
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