荘田教高とは? わかりやすく解説

荘田教高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 07:38 UTC 版)

荘田 教高(しょうだ のりたか、生年不明)は、江戸時代前期の武士剣豪柳生宗矩の代表的な高弟として知られ、後世柳生四天王の一人に数えられた。通称は喜左衛門、嘉左衛門。庄田[注 1]とも。


  1. ^ 綿谷雪は“荘田”、“嘉左衛門”がそれぞれ正しく“庄田“および“喜左衛門”は誤りとする[1]
  2. ^ 『藩翰譜』には「織田殿の時、宗厳大和の守護筒井入道順慶に属して、所々の功名ありき、関白秀吉、天下を知召して、当国を悉く御弟秀長大納言に参ぜられしに、柳生の譜代の郎等、松田という者告申せし旨ありて、柳生の庄隠田の科に処せられて、累代の所領没収せらる、宗厳口をしき事に思い、三人の息に如何にもして汝等本領を安堵し、松田が首切て我にたむけよといひしが、宗矩再び此地領する事を得て、松田を搦取て、荘田といひし郎等して首刎ねしむとなり」とあり
  3. ^ 宗厳と同じく上泉信綱の直弟子で、始め大和の戒重肥後守に仕え、戒重家が没落してからは筒井順慶に仕える。一時期柳生家に身を寄せていたという。
  4. ^ 撃剣叢談』では庄田心流、『本朝武芸小伝』では庄田流、『積翠雑話』では庄田真流としている[1]
  5. ^ 『武芸小伝』では、「越後高田城主・榊原忠次に仕えた」とある[1]が、寛永期、忠次は館林藩におり、榊原氏が越後高田城主になるのは忠次から6代後の榊原政純である。


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