芦田国住とは? わかりやすく解説

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蘆田国住

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 16:45 UTC 版)

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蘆田国住
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明[1]
死没 不明[1]
氏族 蘆田氏
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蘆田 国住(あしだ くにずみ)は、戦国時代から安土桃山時代武将丹波国国人。丹波国氷上郡小室城主[1]

生涯

蘆田氏(芦田氏、葦田氏)は、保元3年(1158年)に信濃国高井郡井上村から丹波芦田庄に配流された井上家光を祖とし[2]、小室城(東芦田城)[3]を拠点とした[4]。15世紀には善政を布いたと伝わる蘆田金猶がいる[5]。16世紀に入り奥丹波を中心に勢力を拡大した[6]赤井氏は蘆田氏の分家とされ[7]、戦国期末、蘆田氏は赤井氏の支配下にあったとみられる[8]

天正7年(1579年)5月、国住[9](または蘆田国重[10])が城主を務める小室城は、織田信長の家臣である明智光秀羽柴秀長により攻められ落城した[11]。また蘆田氏の分家である栗住野氏の居城・栗住野城[12]も羽柴秀長の軍勢によって攻められ、小室城と同じ日に落城した[13]

蘆田氏の城はこうして滅んだが、この周辺には現代でも芦田姓が数多く残る[10]

脚注

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  1. ^ a b c 阿部猛; 西村圭子編 『戦国人名事典 コンパクト版』 新人物往来社、1990年、40頁。ISBN 4-404-01752-9 
  2. ^ 芦田ほか 1973, pp. 114–115.
  3. ^ 現在の兵庫県丹波市青垣町東芦田に所在 (芦田ほか 1973, pp. 115–116)。
  4. ^ 芦田ほか 1973, p. 116.
  5. ^ 芦田ほか 1973, p. 117.
  6. ^ 芦田ほか 1973, pp. 121, 237–240; 細見 1988, pp. 81–89.
  7. ^ 芦田ほか 1973, p. 119; 細見 1988, p. 82.
  8. ^ 芦田ほか 1973, pp. 119, 490.
  9. ^ 芦田ほか 1973, pp. 321, 490.
  10. ^ a b 芦田ほか 1973, p. 119.
  11. ^ 芦田ほか 1973, pp. 321, 490–491.
  12. ^ 兵庫県丹波市青垣町栗住野に所在 (芦田ほか 1973, p. 491)。
  13. ^ 芦田ほか 1973, pp. 491–492.

参考文献

  • 芦田確次; 青木俊夫; 村上完二; 船越昌 『丹波戦国史』 歴史図書社、1973年。全国書誌番号:73010861 
  • 細見末雄 『丹波史を探る』 神戸新聞総合出版センター〈のじぎく文庫〉、1988年。ISBN 4-87521-455-3 

関連項目

  • 足立基助 - 蘆田氏と同時期に滅んだ丹波国氷上郡の国人。



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