臼井秀三郎とは? わかりやすく解説

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臼井秀三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/30 01:55 UTC 版)

臼井 秀三郎(うすい しゅうざぶろう、生没年不詳) は、明治時代の写真家

経歴

伊豆国下田出身。

1867年慶応3年)、横山松三郎に次ぐ下岡蓮杖の二番目の弟子となり、蓮杖の「蓮」の字を貰って「蓮節」と名乗った。遅くとも1876年明治8年)頃までには横浜太田町1丁目13番地写真スタジオを開業したようである。1879年(明治12年)に来日したユリシーズ・グラントアメリカ合衆国大統領を撮影している。1882年(明治15年)、英国の博物学者のヘンリー・ギルマールの日本旅行に同行し、日本各地の写真を撮影した。この際の写真がケンブリッジ大学に残っている。1884年(明治17年)、デビッド・ウェルシュ(David Welsh)と組んで横浜居留地16番に横浜写真社をおこした。臼井が写真製作、ウェルシュが販売に当たったようである。横浜写真社はその後、アドルフォ・ファルサーリに買収されたようだが、臼井自身は太田町に戻って写真スタジオを経営していた。

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