肥島_(山口県)とは? わかりやすく解説

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肥島 (山口県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/02 14:34 UTC 版)

肥島
中央やや左側の小さな島が肥島。右側は大島山陰本線列車から)
肥島
地理
場所 日本海
座標 北緯34度29分1.75秒 東経131度22分43.58秒 / 北緯34.4838194度 東経131.3787722度 / 34.4838194; 131.3787722座標: 北緯34度29分1.75秒 東経131度22分43.58秒 / 北緯34.4838194度 東経131.3787722度 / 34.4838194; 131.3787722
諸島 六島諸島
面積 0.19 km2 (0.073 sq mi)[1]
最高標高 56 m (184 ft)[1]
行政
都道府県 山口県
市町村 萩市
人口統計
人口 0(2021年時点)
追加情報
時間帯
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肥島(ひしま)とは、山口県萩市に属する無人島。六島諸島の一島。古くは、干島とも書かれた[1]。かつては、有人島であったが1960年代後半に無人島化している[1][2]北長門海岸国定公園に含まれる[1][2]

概要

笠山北の虎ヶ崎の北西約2.9kmに位置する[1]。他の六島諸島の島々と同じく、玄武岩により構成され、海食崖に囲まれている[1][2]。六島諸島の中で最小の島であり、諸島の島々の中で最も早く無人島化した[2]

歴史

肥島に人が初めて居住したのは、1859年(安政6年)の大島からの移住者とされる[1]。明治時代には島内に小学簡易科が設置されたとされるが、その後無人島化した[1]

第二次世界大戦後に入植した者がおり、1955年(昭和30年)には有人島と記録されたが、1960年(昭和35年)には入植者が離島し再度無人島化した[1]。その後、再度の入植者がおり、1965年(昭和40年)に有人島と記録されたが、これから3年以内にこの入植者が離島し再々度無人島化した[1][2]。肥島住人の離島は、1965年とする資料[2]もあれば、1968年と記載している資料[1]も存在している。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 公益財団法人日本離島センター 編 『新版SHIMADAS』公益財団法人日本離島センター、2019年、805頁。ISBN 978-4-931230-38-5 
  2. ^ a b c d e f 六島諸島とは”. コトバンク. 2021年9月12日閲覧。



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