羽鳥村と板小屋村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 04:59 UTC 版)
「羽鳥 (天栄村)」の記事における「羽鳥村と板小屋村」の解説
旧羽鳥集落から南西に8kmの地点に木地師達が住んでいた板小屋集落(現在の板小屋遺跡)がある。さらに、鶴沼川支流板小屋川の奥に進むと羽鳥くぼという地がある。羽鳥村と板小屋村は繋がりが深く、「白河風土記」には羽鳥村端村板小屋と表記されていた。尚、「氏子駈(狩)帳」には睦奥国白河領岩瀬郡板小屋村木地屋とある。密接な繋がりのあった2つの村だが扱いは大きく違い、羽鳥村は白河領主の土地で年貢が課せられた農村なのに対し、板小屋村は木地師総本山の後ろ楯で移住地移動の自由があった工匠の住む村だった。また、羽鳥には板小屋にあった五輪塔や木地師の祖神「惟喬親王」の木像を祀った地蔵尊が移されていたことから天明の飢饉か天保の飢饉の際、板小屋から難を逃れ移住したのではないかという説がある。また前述した「湯本山郷史」などの史料によると、1827年(文政10年)を最後に板小屋集落の木地師の記載が無くなり羽鳥に少数記録されていることから、この頃に移住したのではないかとされている。しかし、板小屋遺跡に1856年(安政3年)の墓碑があることを始め、いくつか反証があることから真偽は不明。
※この「羽鳥村と板小屋村」の解説は、「羽鳥 (天栄村)」の解説の一部です。
「羽鳥村と板小屋村」を含む「羽鳥 (天栄村)」の記事については、「羽鳥 (天栄村)」の概要を参照ください。
- 羽鳥村と板小屋村のページへのリンク