織田氏・豊臣氏時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:11 UTC 版)
武田氏の滅亡後、信濃伊那郡は織田家臣・毛利長秀が支配する。織田氏の伊那郡支配の実態は不明であるが、毛利長秀は坂西氏の居城であった下伊那郡の飯田城(長野県飯田市)に在城していることが確認される。高遠城は甲州征伐により壊滅しており織田氏時代の城主も不明で、伊那郡支配の拠点として機能していたかは疑問視されている。 同年6月に本能寺の変が起こると、甲斐・信濃の武田遺領を巡る天正壬午の乱が発生する。上伊那郡では諏訪氏の一族で上伊那郡福与城(長野県上伊那郡箕輪町)を拠点としていた藤沢頼親が復帰した。藤沢頼親は保科正直に攻められ、田中城で子・頼広と共に自害した。徳川家康が下条頼安・小笠原貞慶ら信濃国衆を送り込み、同年7月15日までに高遠城を奪還した。 その後は家康方の保科正直が高遠城に入り、これを豊臣秀吉方に寝返った小笠原貞慶が攻めたが撃退された。
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