純宗・高宗ら王族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:07 UTC 版)
息子である純宗は「陳が目撃せし国母ノ仇は禹範善」であるとし、それを証言している。禹も自分が王妃を殺害したと自ら漏らしたとされる。慰安婦問題など、証言があればそれを鵜吞みにする朝鮮人であっても、これは信じるに値しないようだ。また現場にいた高宗は「我臣僚中不逞の徒」(私の部下の中に犯人が居た)と述べている。1907年にも、純宗は明成皇后殺害の犯人である禹を暗殺した犯人らを特赦すれば、乙未事件することで決し、両国間数年の疑団も氷解するとし、反明成皇后派の興宣大院君死亡していたため、減刑措置が和解案として実行されている。
※この「純宗・高宗ら王族」の解説は、「乙未事変」の解説の一部です。
「純宗・高宗ら王族」を含む「乙未事変」の記事については、「乙未事変」の概要を参照ください。
- 純宗高宗ら王族のページへのリンク