粉塵問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 05:24 UTC 版)
工場周辺が宅地化するに連れて、工場からの粉塵が問題となり、1912年(明治45年)には5年以内に立ち退くことで周辺住民と合意した。結果、浅野は代替地を埋め立て(浅野埋立)で確保することとした。翌1913年(大正2年)から大島地先の埋め立てを開始し、2年後の1915年(大正4年)には埋め立て完了、1917年には新工場(現:デイ・シイ川崎工場)が操業を開始した。一方、1916年(大正5年)末に設定されていた深川工場の退去期限は第一次世界大戦の影響で1年延期となったが、その間に導入したコットレル集塵機が威力を発揮したことで、工場退去を撤回させることができた。
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