笹無田水路橋とは? わかりやすく解説

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若宮井路笹無田石拱橋

(笹無田水路橋 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/27 03:01 UTC 版)

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若宮井路笹無田石拱橋

奥の赤い鉄橋はJR豊肥本線
基本情報
日本
所在地 大分県竹田市大字挟田
交差物件 大野川水系笹無田川
設計者
施工者
工藤虎彦
建設 1917年(大正6年)
座標 北緯32度59分08秒 東経131度24分36秒 / 北緯32.98567度 東経131.40992度 / 32.98567; 131.40992座標: 北緯32度59分08秒 東経131度24分36秒 / 北緯32.98567度 東経131.40992度 / 32.98567; 131.40992
構造諸元
形式 2連アーチ橋
材料 石造
全長 59.0m
4.0m
高さ 30.0m
最大支間長 21.5m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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若宮井路笹無田石拱橋の水路
笹無田石拱橋の上流にある水路橋、若宮井路鏡石拱橋。

若宮井路笹無田石拱橋(わかみやいろ ささむたせっこうきょう[1])は、大分県竹田市挟田の笹無田川に架かる石造2連アーチ橋水路橋である。1996年平成8年)12月20日に国の登録有形文化財に登録されている。

概要

竹田市の稲葉川から取水した水を、現在の大分県豊後大野市朝地地区に送水する若宮井路の一部として、笹無田川及び道路を越えるために設けられた水路橋で、橋高30.0m、径間21.5mと非常に大きなアーチで構成された巨大な石造アーチ橋である。

1901年明治34年)の通水当初は鉄管サイフォン式であったが、1903年(明治36年)に破裂したため木造橋が設けられた。その後、恒久的な施設とするため、1916年大正5年)に石橋の完成を見たものの、そのわずか5日後に崩壊したため再度建設が進められ、1917年(大正6年)に現在の橋が竣工した。

諸元

  • 所在地:大分県竹田市大字挟田
  • 河川:大野川水系笹無田川
  • 形式:2連石造アーチ橋
  • 橋長:59.0m
  • 橋高:30.0m
  • 幅員:4.0m
  • 径間(アーチの幅):21.5m
  • 拱矢(アーチの高さ):9.0m
  • 竣工:1917年(大正6年)
  • 設計者:工藤虎彦
  • 管理者:朝地町土地改良区
  • 文化財等:国の登録有形文化財

交通アクセス

脚注

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  1. ^ 文化庁文化遺産オンライン (archive)では「-せききょうきょう」と読ませている。大辞泉では「拱橋」を「きょうきょう」と読ませている。

関連項目

外部リンク




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