第17回ジャパンボウルとは? わかりやすく解説

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第17回ジャパンボウル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/26 03:09 UTC 版)

第17回ジャパンボウル
1 2 3 4
東軍 0 0 0 14 14
西軍 3 3 7 0 13
開催日 1992年1月12日
スタジアム 東京ドーム
開催地 東京都
入場者数 50,000

第17回ジャパンボウルは、1992年1月12日東京ドームで行われたカレッジフットボールのオールスター東西対抗戦。東軍が14-13で2年ぶり6回目の勝利をあげた[2]。東軍のヘッドコーチはテネシー大学のジョニー・メジャーが務めた<re name="tampa"/>。

試合経過

西軍は前半にジョー・ウッド(Joe Wood)の2本のFGで先制し[3]、第3Qにはハイズマン賞に選ばれたブリガムヤング大学のQBタイ・デトマー英語版の4ヤードのTDランで13-0とリードした[2]

東軍は第4Qにアイオワ大学のQBマット・ロジャース英語版のパスをミシガン大学のLBエリック・アンダーソン英語版がインターセプト、オハイオ州立大学のRBスコッティ・グレアム英語版が残り8分にタッチダウンをあげて7-13と追い上げた[1]

東軍はさらに東カロライナ大学のジェフ・ブレイク英語版が13ヤードのパスをパット・エバンズ(Pat Evans)に通し、スコッティ・グレアム、シラン・ステイシー英語版ウィリー・マクレンドン英語版がボールを1ヤード地点まで前進させた[3]。残り約3分にアラバマ大学ケビン・ターナー英語版が1ヤードを走ってタッチダウン、マイアミ大学のKカルロス・ウェルタ英語版がトライフォーポイントを決めて、14-13で東軍が14-13で逆転勝利を収めた[1]。MVPにはデトマーが選ばれた[2]。デトマーはパス22回中11回成功と成功率は50%であったが5連続パス成功やタッチダウンランをあげた[4]

脚注

  1. ^ a b c East all-stars rally to win Japan Bowl”. tampabay.com (1992年1月13日). 2022年5月27日閲覧。
  2. ^ a b c アメフト ジャパンボウル12日 東 軍が1点差で逆転勝ち 読売新聞 1992年1月13日 朝刊21ページ
  3. ^ a b East 14, West 13”. UPI通信 (1992年1月12日). 2022年5月27日閲覧。
  4. ^ デトマー本領はチラリ ジャパンボウル 朝日新聞 1992年1月13日東京朝刊25ページ



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