笠川永太とは? わかりやすく解説

笠川永太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/01 17:01 UTC 版)

笠川 永太
名前
カタカナ カサガワ エイタ
ラテン文字 KASAGAWA Eita
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1990-10-25) 1990年10月25日(32歳)
出身地 福岡県福岡市東区
身長 185cm
体重 80kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

笠川 永太(かさがわ えいた、1990年10月25日 - )は、福岡県出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。ゴールキーパーとしては福岡クラブ史上初の下部組織出身者である。

経歴

小学生の時に博多の森球技場(現レベルファイブスタジアム)で当時アビスパ福岡に所属していた小島伸幸に憧れてプロの選手を目指す。12歳より福岡U-15に所属。2008年には高校生ながらトップチームの春季キャンプに参加し、それからは藤川孝幸コーチの指導の下、トップチームの練習試合にも参加する様になる。

2008年11月23日に福岡と仮契約を結び、2009年からのトップチームへの昇格内定が決まった。

入団後は、神山竜一六反勇治の控えとしてベンチ入りすることが少なかったが、2011年10月8日、天皇杯2回戦の高知大学戦で、公式戦デビューを飾った。

六反が移籍した翌年は神山や河田晃兵の前に出場機会が無く、京都から水谷雄一が加入した2013年も水谷と神山の第3GKという立ち位置であったが、6月の熊本戦で水谷が負傷し長期欠場して以降は毎試合ベンチ入りしている。

2015年にはから加入した中村航輔が正GKとなり再びベンチ外となった。12月、アルビレックス新潟シンガポールへの完全移籍が発表された[1]。ユース時代から13年間過ごしたアビスパ福岡を去ることになった。

2016年12月、自身のTwitterで現役引退を発表した[2]

所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2009 福岡 25 J2 0 0 - 0 0 0 0
2010 0 0 - 0 0 0 0
2011 J1 0 0 0 0 1 0 1 0
2012 J2 0 0 - 0 0 0 0
2013 2 0 - 1 0 3 0
2014 0 0 - 0 0 0 0
2015 1 0 - 0 0 1 0
シンガポール リーグ戦 リーグ杯 シンガポール杯 期間通算
2016 新潟S 1 Sリーグ 3 0 2 0 2 0 7 0
通算 日本 J1 0 0 0 0 1 0 1 0
日本 J2 3 0 - 1 0 4 0
シンガポール Sリーグ 3 0 2 0 2 0 7 0
総通算 6 0 2 0 4 0 12 0

出典

  1. ^ 笠川永太選手 加入のお知らせ アルビレックス新潟シンガポール日本語版、2015年12月19日閲覧
  2. ^ eita__kのツイート(813758476874678272)

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「笠川永太」の関連用語

笠川永太のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



笠川永太のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの笠川永太 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS