竹田眞二
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竹田 眞二(たけだ しんじ、1896年 - 1978年1月25日)は、日本の聖職者。聖路加国際病院チャプレン(牧師)、日本聖公会の聖職者[1][2]。
人物・経歴
1896年生まれ。1914年に、メソジスト系の豊橋教会で受洗し、牧師になることを志す[1]。
その後、東京に出て、聖公会の築地の東京三一神学校(現・聖公会神学院)で2年間修学し、1920年に卒業[1][2]。
同1920年に聖路加国際病院に着任すると、チャプレンのノーマン・ビンステッドより指導を受ける[1]。
1927年に日本聖公会の司祭となり、同時に聖路加国際病院の正チャプレンに就任[1][2]。
戦時中は、軍部からの圧力を受けながらも、主日礼拝と祭事を守った[1]。
定年後も、嘱託司祭として務め、1978年に81歳で亡くなるまで、聖路加国際病院のチャプレンとして約60年にわたって活動を続けた[1]。 その功績から、1966年に聖路加国際病院より名誉牧師の称号を与えられた[1]。
長男の竹田眞は、聖公会神学院校長や日本聖公会首座主教を務めた[3]。
脚注
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