竹田村_(鳥取県東伯郡1907年)とは? わかりやすく解説

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竹田村 (鳥取県東伯郡1907年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 14:30 UTC 版)

たけだそん
竹田村(第一次)
廃止日 1907年10月1日
廃止理由 新設合併
高勢村賀茂村竹田村旭村
現在の自治体 東伯郡三朝町
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,636
(『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』469頁、1901年)
隣接自治体 三朝村、賀茂村、高勢村、東竹田村西竹田村上小鴨村小鴨村上灘村
竹田村(第一次)役場
所在地 鳥取県東伯郡竹田村大字牧
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竹田村(たけだそん[1])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の東伯郡三朝町の一部にあたる。

地理

天神川とその支流・加茂川の流域に位置していた[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、河村郡今泉村、湯谷村、赤松村、大柿村、牧村、恩地村、久原村、曹源寺村、助谷村が合併して村制施行し、竹田村が発足[1][2]。旧村名を継承した今泉、湯谷、赤松、大柿、牧、恩地、久原、曹源寺、助谷の9大字を編成[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1897年(明治30年)役場庁舎落成[2]
  • 1907年(明治40年)10月1日、東伯郡高勢村、賀茂村と合併し旭村を新設して廃止[1][2]。合併後、旭村大字今泉・湯谷・赤松・大柿・牧・恩地・久原・曹源寺・助谷となる[2]

地名の由来

江戸時代に竹田庄の中心地であったことから[2]

産業

教育

  • 1893年(明治26年)助谷簡易小学校を竹田尋常小学校に改称[2]

名所・旧跡

  • 曹源寺 (鳥取県三朝町)[4]

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』457頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』469頁。
  3. ^ 「今泉〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』108頁。
  4. ^ 「曹源寺〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』442頁。

参考文献

関連項目




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