立入奇一
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立入 奇一(たていり きいち、1844年(弘化元年4月[1])- 1895年(明治28年)2月5日[1])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
伊賀国阿拝郡上野、現在の三重県[1]伊賀市で生まれた[2]。藤堂藩校崇広堂で学ぶ。江戸、京都に遊学した[2]。地租改正掛、三重県出仕を経て、三重県会議員、同常置委員となる[1]。伊賀街道隧道の計画立案、郡立中学校の設立、上野商工会の設立などに尽力した[2]。
1890年の第1回衆議院議員総選挙において三重6区から立憲改進党公認で立候補して当選する[3]。1892年の第2回衆議院議員総選挙で再選[4]。1894年3月の第3回衆議院議員総選挙で落選した[5]。翌1895年に死去した。
著作
- 『三重県会沿革集覧』立入奇一、1884年[2]。
脚注
参考文献
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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