称名寺_(結城市)とは? わかりやすく解説

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称名寺 (結城市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/12 10:20 UTC 版)

稱名寺
所在地 茨城県結城市結城152
位置 北緯36度18分09.2秒 東経139度52分20.9秒 / 北緯36.302556度 東経139.872472度 / 36.302556; 139.872472座標: 北緯36度18分09.2秒 東経139度52分20.9秒 / 北緯36.302556度 東経139.872472度 / 36.302556; 139.872472
山号 新居山
院号 高田院
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 建保4年(1216年
開基 結城朝光
文化財 往生要集(茨城県指定文化財)、紙本著色結城朝光肖像画(結城市指定文化財)他
法人番号 1050005010385
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稱名寺(しょうみょうじ)は、茨城県結城市にある浄土真宗本願寺派寺院

歴史

1216年建保4年)、結城朝光の開基である。朝光は結城氏の始祖で、下総国結城(現・茨城県結城市)を根拠地とする御家人である。朝光は仏教を篤く信仰しており、1214年(建保2年)に浄土真宗の宗祖親鸞を招聘・帰依し、寺を創建した。その後、1225年嘉禄元年)に親鸞の高弟「二十四輩」の一人真仏を招いて「称名寺」と改称し、結城氏の菩提寺とした[1]

その後の第18代当主結城秀康越前国移封まで、結城氏によって保護され続けた[1]

文化財

  • 往生要集(茨城県指定文化財 昭和33年3月12日指定)[2]
  • 紙本著色結城朝光肖像画(結城市指定文化財 昭和38年10月1日指定)[3]
  • 木造結城朝光像(結城市指定文化財 昭和46年9月11日指定)[4]
  • 称名寺御霊屋門(結城市指定文化財 昭和52年12月6日指定)[5]
  • 称名寺二条門(結城市指定文化財 昭和52年12月6日指定)[5]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 稲葉博 著『関東古社名刹の旅2(群馬・栃木・茨城編)』読売新聞社、1987年、152-153p
  2. ^ 往生要集茨城県
  3. ^ 市指定文化財 絵画(詳細)結城市
  4. ^ 市指定文化財 彫刻(詳細)結城市
  5. ^ a b 建造物(詳細)結城市

参考文献

  • 稲葉博 著『関東古社名刹の旅2(群馬・栃木・茨城編)』読売新聞社、1987年



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