福田悌夫とは? わかりやすく解説

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福田悌夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 08:08 UTC 版)

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福田 悌夫(ふくだ やすお、1895年明治28年)12月4日[1][注釈 1] - 1966年昭和41年)8月28日[2])は、大正から昭和期の地主[3][4]、農業経営者、著述家、教育者、実業家政治家衆議院議員山口県都濃郡福川町長。

経歴

山口県[2]都濃郡福川村(福川町(第1次)[5][4]徳山市福川町(第2次)、南陽町、新南陽市を経て現周南市)で福田秀夫の五男として生まれ[3][4]、素封家[6]福田民平の養子となる[3][4]。1920年(大正9年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した[2][3][4][5][7]

農業を営む[2]。著述業にも従事し、雑誌『新思潮』を経営[2][5][7]。その後、徳山実業実践学校講師、徳山商業学校教諭を務めた[2][4][5][7]。政治家道源権治の後継者と目され[6]、都濃郡農会長、同教育会長の後任に推薦されて就任[6]。その他、都濃郡青年団長、同女子青年団長、同連合婦人会長、福川町教育会長、同農会長、山口県農会議員、塩業組合中央会副会長、柏工業社長なども務めた[2][4][5][7]

1937年(昭和12年)4月、第20回衆議院議員総選挙(山口県第2区、立憲民政党公認)では道源権治が顧問を務めて当選し[4]翼賛議員同盟に所属して衆議院議員に1期在任した[2][5]。この間、民政党院内幹事なども務めた[7]。また、1937年5月から福川町長[2][3][4][5][6][7]、同消防組頭にも在任した[6]

戦後、公職追放となった[8]1951年、追放解除[9]

国政選挙歴

著作

  • 『公民講義』白銀日新堂本店、1937年。

脚注

注釈

  1. ^ 『大衆人事録 第13版 中国・四国・九州篇』山口26頁では11月4日。

出典

  1. ^ 衆議院『第七十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年、26頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』549頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』フ29頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『大衆人事録 第13版 中国・四国・九州篇』山口26頁。
  5. ^ a b c d e f g 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』388頁。
  6. ^ a b c d e 『徳山地方の人物を語る』179-182頁。
  7. ^ a b c d e f 『戦時下の政局を繞る人々』40頁。
  8. ^ 総理庁官房監査課編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 日比谷政経会、1949年、65頁。NDLJP:1276156 
  9. ^ 『朝日新聞』1951年6月19日朝刊1面
  10. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第19回』471頁。
  11. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第20回』467頁。
  12. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第21回』461頁。

参考文献

  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第19回』衆議院事務局、1936年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第20回』衆議院事務局、1937年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第21回』衆議院事務局、1943年。
  • 角屋謹一 『戦時下の政局を繞る人々 : 昭和政治家評論』角屋謹一 、1938年。
  • 吉田理『徳山地方の人物を語る』春風荘書房、1939年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第13版 中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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