祖母井神社とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 祖母井神社の意味・解説 

祖母井神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/10 04:05 UTC 版)

祖母井神社
所在地 栃木県芳賀郡芳賀町祖母井749
位置 北緯36度33分10.5秒 東経140度03分40.9秒 / 北緯36.552917度 東経140.061361度 / 36.552917; 140.061361 (鷲子山上神社)座標: 北緯36度33分10.5秒 東経140度03分40.9秒 / 北緯36.552917度 東経140.061361度 / 36.552917; 140.061361 (鷲子山上神社)
主祭神 彦火火出見命木花開耶姫命須佐之男命
社格 村社
創建久安元年(1145年[1]
本殿の様式 三間社流造[1]
例祭 11月22日
主な神事 祇園祭
テンプレートを表示

祖母井神社(うばがいじんじゃ)は、栃木県芳賀郡芳賀町祖母井神社

歴史

1145年久安元年)に創建されたと伝えられる[2]。元々は別の場所にそれぞれ「上の宮」と「下の宮」に分かれており、「上の宮」に彦火火出見命須佐之男命が、「下の宮」に木花開耶姫命が祀られていた[3][2]。上の宮は姥が池の北の台地上に、下の宮は姥が池のほとりにあった[4]13世紀に当地に勢力を持った祖母井氏の守護神として信仰され、民衆からは農業神・安産の神として崇敬を集めた[4]

1760年宝暦10年)、上の宮が火災で焼失したため、1765年明和2年)に両宮を現在地に移転・合祀し「星宮三社」と称することになった[3]。(移転時期は1753年宝暦3年〕とする説もある[5]。)星宮は下野国に数多く建立された神社で、開拓神である[5]。この頃は神仏習合であったため、虚空蔵菩薩本地仏とし、日光修験とのつながりが強かった[5]。また、現代に継承される祇園祭(夏祭り)や輪くぐりはこの頃に始まったと見られる[5]

1873年明治6年)、地名から「祖母井神社」に改称した。近代社格制度においては、村社に列せられた[3]。現代では、縁結びや健康祈願の信仰もある[5]

境内には、『蛇姫様』の作家川口松太郎の句碑がある[6]。川口がかつて祖母井郵便局に勤め、当社の隣に住んでいた縁による[6]

文化財

  • 祖母井神社本殿(栃木県指定有形文化財 平成3年10月11日指定)[7] - 彩色を施した彫刻、多様な組物を特徴とする[5]1770年(明和7年)に地元の豪農・横堀仙衛門が寄進した[1]

交通アクセス

脚注

[脚注の使い方]

参考文献

  • 栃木県歴史散歩編集委員会 編 『栃木県の歴史散歩』〈歴史散歩⑨〉山川出版社、350頁。ISBN 978-4-634-24609-6 
  • とちぎの小さな文化シリーズ企画編集会議 編 『とちぎの史跡をめぐる小さな旅』〈とちぎの小さな文化シリーズ①〉下野新聞社、2000年3月27日、271頁。ISBN 4-88286-113-5 

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  祖母井神社のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「祖母井神社」の関連用語

祖母井神社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



祖母井神社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの祖母井神社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS