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矢野隆司 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/31 03:17 UTC 版)

矢野 隆司
基本情報
国籍 日本
出身地 愛媛県今治市
生年月日 1955年
身長
体重
172 cm
69 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

矢野 隆司(やの たかし、1955年 - )は、愛媛県今治市出身の元アマチュア野球選手(投手)である。

人物・来歴

今治西高等学校では投手として甲子園に4回出場。1971年夏の選手権は、1年上の徳丸謙一(愛媛相互銀行)との二本柱で2回戦に進むが、鹿児島玉龍高に敗退[1]。翌1972年春の選抜は2回戦で先発を任されるが、倉敷工に敗れる[2]。他の1年上のチームメイトに二塁手木村富士夫がいた。1973年春の選抜はエースとして準々決勝に進むが、作新学院江川卓に完封負け[2]。同年夏の選手権は、準決勝で植松精一らを打の主軸とする静岡高に敗退[1]。直後の日韓親善高校野球にも参加した。高校同期に三塁手渡部一治がいた。

高校卒業後は亜細亜大学に進学。当時の東都大学野球リーグ駒大の全盛期であり、優勝には届かず3位3回にとどまる。リーグ通算49試合登板、10勝17敗。大学同期に投手の高橋周司三塁手古屋英夫がいる。

卒業後は社会人野球熊谷組に進み、主にリリーフとして小林秀一林博之らの先発陣を支える。1978年都市対抗では2勝を挙げ準決勝に進出するが東芝に敗退[3]。翌1979年都市対抗では決勝に進み三菱重工広島と対戦。2点リードの9回表からリリーフに立つが、集中打を浴び逆転され準優勝にとどまる[3]1982年限りで現役引退。

脚注

  1. ^ a b 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ a b 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

関連項目




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