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林博之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 06:02 UTC 版)

林 博之
基本情報
国籍 日本
出身地 東京都
生年月日 1954年
身長
体重
172 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

林 博之(はやし ひろゆき、1954年 - )は、東京都出身の元アマチュア野球選手(投手)。

経歴

拓殖大学第一高校では、エースとして1972年夏の甲子園都予選準々決勝に進み、修徳高を引き分け再試合で降す。準決勝でも日大桜丘高仲根正広と延長18回の投手戦の末に引き分け、しかし再試合では大敗を喫した。

中央大学に進学。当時のエースは1年上の田村政雄であり、東都大学野球リーグでは2年生までに2回の優勝を経験。しかしその後は駒大東洋大に抑えられ優勝には届かなかった。1976年日米大学野球選手権日本代表に選出され5試合に登板する[1]。大学同期に外野手岡村隆則がいた。

卒業後は熊谷組に入社。久保田美郎小林秀一らと強力投手陣を形成する。1977年都市対抗は準々決勝で日本生命を完封。決勝でも先発し神戸製鋼増岡義教三菱重工神戸から補強)と投げ合うが0-3で敗れる[2]。この大会では若獅子賞を獲得した。1979年都市対抗でも中尾孝義プリンスホテルから補強)とバッテリーを組み、決勝に進み先発。三菱重工広島大町定夫新日鐵光から補強)と投げ合うが敗退した[2]。この大会では優秀選手賞を獲得。その後も投手陣の主軸として活躍し、1985年に引退。

脚注

  1. ^ 第5回日米大学野球選手権大会」(公財)全日本大学野球連盟
  2. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

関連項目




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