金井高勝とは? わかりやすく解説

金井高勝

(真田信春 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 08:50 UTC 版)

 
金井 高勝
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 不詳[1]
死没 慶長11年7月7日1606年8月10日
改名 信春(初名)
戒名 高勝寺殿龍顔宗白大居士[2]
墓所 長野県上田市の龍顔寺[2]
官位 宮内介
氏族 真田氏→金井氏
父母 父:真田幸綱、母:恭雲院[3]
兄弟 真田信綱真田昌輝真田昌幸真田信尹金井高勝真田清鏡?
テンプレートを表示

金井 高勝(かない たかかつ)は、戦国時代武将真田幸綱(幸隆)の五男。名ははじめ「信春」か。通称は宮内介。兄に信綱昌輝昌幸信尹。信尹を5男、高勝を4男とする説もある。また、真田清鏡が兄弟にいるという説もある。生母は恭雲院。

生涯

最初は真田の家名を名乗るが、のち金井氏を称し、高勝(隆勝とも)と名を改めたらしいが、詳細は不明。『金井氏系図』や『一徳斎殿御事事蹟稿』では高勝が金井氏を継承したとしている[2]

信濃小県郡丸子村(長野県上田市)の御嶽堂に居住し、のちに子孫は帰農した[2]。墓所は同所の龍顔寺(以前は「高勝寺」と呼ばれていた)といい、高勝の菩提所として創建された[2]

高勝の没した翌年の6月26日付で、甥の信之が叔父の冥福を祈って寺領3貫文を寄進したという記録が寺に残っている(『龍顔寺文書』)[2]

ただし、江戸時代江戸幕府編纂の系図集成である『寛政重修諸家譜』では幸隆の四男は信尹とし、五男の高勝の名は見られない[4]

脚注

  1. ^ 柴辻 1996, p. 72
  2. ^ a b c d e f 柴辻 1996, p. 73
  3. ^ 丸島 2016, p. 77.
  4. ^ 柴辻 1996, p. 67

参考文献

書籍
史料
  • 『寛政重修諸家譜』
  • 『金井氏系図』
  • 『一徳斎殿御事事蹟稿』
  • 『龍顔寺文書』




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「金井高勝」の関連用語

金井高勝のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



金井高勝のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの金井高勝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS