目黒競馬場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 21:46 UTC 版)
目黒競馬場(めぐろけいばじょう)は、1907年(明治40年)から1933年(昭和8年)まで、現在の東京都目黒区下目黒に存在した1周1マイルの競馬場。1933年の閉鎖と同時に、現在の東京競馬場(府中市)に移転された。1907年創設の日本競馬会(1936年設立の日本競馬会とは同名であるが別団体)が設立したが、1910年に東京競馬倶楽部に経営は移った。山手線目黒駅、東急目黒線不動前駅(当時は目黒蒲田電鉄、1923年以降は目蒲線)、東急東横線祐天寺駅(当時は東京横浜電鉄)の3駅とほぼ等距離で、1km余り離れた場所に位置していた。
注釈
- ^ 出典は明治40年秋の売り上げについては東京朝日新聞1907年(明治40年)12月17日朝刊6面、明治41年春の売上は東京朝日新聞1908年(明治41年)12月17日朝刊6面および『続 日本馬政史』第二巻、1963年、神翁顕彰会、566頁。
- ^ 2006年より東京優駿(日本ダービー)施行当日の最終競走として施行。
- ^ 出典は主に日本中央競馬会『日本競馬史』第3巻、1968年、54-55頁。開催日は東京競馬倶楽部『東京競馬会および東京競馬倶楽部史』第3巻、1941年、目次裏。明治40年秋の売り上げは東京朝日新聞1907年(明治40年)12月17日朝刊6面、明治41年春の入場者数および売上は『続 日本馬政史』第二巻、1963年、神翁顕彰会、566頁。明治41年秋の入場者数は数百名だが招待客が多く、有料入場者数は数十名程度と東京朝日新聞1908年12月17日朝6面では報じている。
- ^ 開催日は開催期間中の主に土曜と日曜。
- ^ 有料入場者のみ。日本競馬史3巻84頁。
- ^ 有料入場者のみ。日本競馬史3巻84頁。
- ^ 馬券発売乱の△は現金ではなく商品券で払い戻し、競馬法施行前の勝馬投票券で刑法の賭博罪に当たらぬように考えられた。買える枚数も1-2枚に制限され(馬券が入場券に付随する形)、勝馬に投票したものに与えられる商品券の金額も枚数も限られている[26][27]。
出典
- ^ a b c d 日本中央競馬会1968、46-48頁。
- ^ 帝国1928、580-581頁。
- ^ 大江2005、97-98頁。
- ^ 目黒1985、45-46頁。
- ^ 東京朝日新聞 1907年(明治40年)12月4日
- ^ a b 競馬世界1908-3、46頁。
- ^ 倶楽部1941-1、48頁。
- ^ 日本中央競馬会1968、48-53頁。
- ^ 日本中央競馬会1968、53頁。
- ^ 日本中央競馬会1968、54頁。
- ^ 東京朝日新聞明治40年12月8日
- ^ 日本中央競馬会1969、4-5頁。
- ^ 日本中央競馬会1969、3-7頁。
- ^ 立川1991、60-63頁。
- ^ 大江2005、116-143頁。
- ^ 倶楽部1941-1。
- ^ 尾形1967、50-52頁。
- ^ 立川1991、60-67頁。
- ^ 大江2005、132-133頁。
- ^ 東京朝日新聞1908年(明治41年)12月17日朝6面
- ^ a b 神翁1963、740-741頁
- ^ 倶楽部1941-1、263-275頁
- ^ 日本中央競馬会1968、66-83頁。
- ^ 馬匹世界25号、1910年7月、49頁。
- ^ 日本中央競馬会1968、84-85頁。
- ^ a b 日本之産馬5巻6号、1915年、29-30頁。
- ^ a b 日本中央競馬会1969、89-103頁。
- ^ 日本中央競馬会1968、99頁。
- ^ 日本中央競馬会1969、151-153頁。
- ^ a b c d 日本中央競馬会2005、488-489頁。
- ^ a b 日本中央競馬会1968、177-182頁。
- ^ 日本中央競馬会1968、102-105頁。
- ^ a b 日本中央競馬会1968、126頁。
- ^ 倶楽部1941-1、609頁。
- ^ 府中市1974、587-611頁。
- ^ 日本中央競馬会1968、172頁。
- ^ 日本中央競馬会1968、171-176頁。
固有名詞の分類
Weblioに収録されているすべての辞書から目黒競馬場を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から目黒競馬場を検索
- 目黒競馬場のページへのリンク