白札郷士に昇格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 19:59 UTC 版)
寛政12年(1800年)、弓術導方を命ぜられ御歩行格に進み、文政5年(1822年)、積年子弟育成の功により、白札郷士に昇格し上士格に列す。子孫も受け継いで、大和流弓術が軽格の士に広まった。 文政8年8月25日(1825年10月7日)死去。享年78歳。 法名は月輪院密來理覺信士。墓は高知県高知市南高見の横道の下端、松尾彦太郎墓地の南方畑の下の方にある。
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