畠山高俊とは? わかりやすく解説

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畠山高俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/09 23:22 UTC 版)

 
畠山 高俊
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 慶長5年9月15日1600年10月21日
別名 勝左衛門、保田庄左衛門尉
官位 播磨守
主君 畠山秋高織田信長豊臣秀頼石田三成
氏族 畠山氏(尾州家)
父母 畠山政能
兄弟 畠山貞政、宮原政次、高俊、万徳、九郎[1]
保田知宗あるいは保田長宗女
花王院、女子、勝三郎
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畠山 高俊(はたけやま たかとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将

概要

「源畠山吉益系図」によると畠山政吉(政能)の三男で、妻は保田知宗あるいはその父の長宗であるとされる[2]

畠山秋高織田信長に「甥の高俊を養子とした」と報告したところ、信長は高俊を播磨守とした。しかし「両国之名侍」達が従わなかったために豊臣秀頼の頃に石田三成に従い保田庄左衛門尉(「両畠山系図」では庄左衛門)を名乗ったが、関ヶ原の戦いで討死したという[3][4]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 塙保己一 編「両畠山系図」『続群書類従 巻115-116』https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2553646/24 
  2. ^ 清水町誌編さん委員会編『清水町誌 下巻 本編』(清水町、1998年)
  3. ^ 塙保己一 編「両畠山系図」『続群書類従 巻115-116』https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2553646/24 
  4. ^ 川岡勉編『畠山家文書集(羽曳野資料叢書 ; 3)』(羽曳野市、1991年)

関連項目




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