瓦林氏と三好氏の争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 05:29 UTC 版)
永正13年(1516年)に瓦林城主の瓦林正頼が築城した。 永正15年(1518年)に管領細川高国を軍事的に支えていた大内義興が京を離れ周防に帰国すると、翌永正16年(1519年)11月に阿波に撤退していた細川澄元と阿波守護代の三好之長が挙兵し(両細川の乱)、瓦林正頼の越水城を落とした。しかし、永正17年(1520年)5月、三好之長が細川高国に討たれると(等持院の戦い)、越水城も瓦林氏に戻ったとみられる。 大永7年(1527年)澄元の子・細川晴元が三好元長と共に上洛すると(桂川原の戦い)、越水城は三好氏に奪われたと考えられる。 享禄5年(1532年)、三好元長が一向一揆に討たれると、天文2年(1533年)9月6日瓦林氏の一族が一向衆と結託して阿波篠原氏の守る越水城を取り返しているが、同23日に三好伊賀守に奪い返された。
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