王弘之とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 王弘之の意味・解説 

王弘之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/11 17:32 UTC 版)

王 弘之(おう こうし、365年 - 427年)は、東晋から南朝宋にかけての隠者は方平。本貫琅邪郡臨沂県

経歴

上虞県令の王随之(王廙の子の王耆之の子)の子として生まれた。幼くして父を失い、母方の祖父の何準に養育された。東晋の隆安年間、琅邪王司馬徳文の下で中軍参軍となり、司徒主簿に転じた。烏程県令の任を猟官したが、まもなく病のため上虞県の家に帰った。桓玄が政権を掌握すると、弘之は桓謙の下で衛軍参軍となった。兄の王鎮之安成郡太守となると、弘之は職を辞して同行した。まもなく荊州刺史桓偉に請われて南蛮長史となった。

義熙初年、何無忌に右軍司馬となるよう請われ、劉裕徐州治中従事史として召され、員外散騎常侍とされたが、いずれも就任しなかった。会稽郡上虞県の家に住まい、農耕にいそしみ、上虞江の三石頭に釣り糸を垂らしながら日々を暮らした。永初3年(422年)、従兄の王裕之が吏部尚書となると、弘之は郭希林とともに推挙されて、太子庶子として召されたが、また就任しなかった。

元嘉4年(427年)、通直散騎常侍として召されたが、やはり受けなかった。この年のうちに死去した。享年は63。

子女

  • 王曇生(吏部尚書・太常卿を歴任し、大明末年に呉興郡太守となった。泰始初年に晋安王劉子勛の乱に参加したが、明帝の軍に敗れて会稽に逃れ、降伏して許され、中散大夫に終わった)
  • 王普曜(秘書監)
  • 王羅雲(平西長史)

伝記資料

  • 宋書』巻93 列伝第53
  • 南史』巻24 列伝第14



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「王弘之」の関連用語

王弘之のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



王弘之のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの王弘之 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS