物部伊勢父根とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 物部伊勢父根の意味・解説 

物部伊勢父根

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/19 05:31 UTC 版)

 
物部伊勢父根
時代 古墳時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 物部至至
主君 継体天皇
氏族 物部伊勢連
テンプレートを表示

物部伊勢父根(もののべ の いせ の ちちね)は、『日本書紀』等に伝わる古墳時代豪族。姓は連。別名は物部至至(もののべ の ちち)。

概要 

日本書紀継体天皇9年春2月条によれば、父根は百済の使者の文貴将軍の帰国に同行した。 同月には沙都嶋(巨済島)に移り、同年4月には、帯沙江に移動して、その6日後には伴跛が軍隊を起こし、父根を襲撃した。父根は恐怖し、逃亡して汶慕羅(朝鮮半島内の島で場所は不明)に至ったという[1]

日本書紀継体天皇23年春3月条によれば、父根は吉士老と共に百済に派遣され、津(港)を百済の王に与えた。しかし、加羅王は父根達に 「この津は官家(=屯倉、倭国の直轄地)が設置されてから、我々が朝貢する際に利用する津です。どうして簡単に隣の国に与えられましょうか」と反発したため、父根達は百済に津を与えるのは難しいと考え、大嶋(朝鮮半島内の島で場所は不明)に帰ったという[2]

倭系百済官僚である物部麻奇牟(莫哥武とも)、物部用歌多物部哥非物部烏の父祖であるとする説が存在する[3]

勿部将軍功徳記』に登場する百済勿部珣を「物部珣」とし、物部氏の末裔とする説が有力である(倭の物部氏の末裔とも、倭系百済官僚の末裔とも)[4][5][6]

脚注

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  物部伊勢父根のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「物部伊勢父根」の関連用語

物部伊勢父根のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



物部伊勢父根のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの物部伊勢父根 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS